坐禅

半眼~坐禅

今日はyokoさんと坐禅の約束をしてた。結局、K-jiri さんとK田さんも一緒なった。
坐禅は半眼でする。その理由は眠らないためと妄想を見ないために。
半眼でダラーナ~集中、そしてディヤーナ~安定(無心行法)に入るのは難しいな。
でも何とか半眼で出来るようになりたい。

P1090868.jpg

半眼について調べていたらある方のブログに「原田雪渓老師~The禅 ダルマは世界を駆ける」という本から抜粋した文が載っていました。少し半眼とはズレるけど呼吸のことをとてもわかりやすく書いてあるので載せます。興味のある方は読んでみて下さいね。
ヨガの内観にもとても繋がると思います。

P1090858.jpg

「呼吸を見る
 私たちはいま、自分の呼吸を意識しておりません。吐く息、吸う息、吐く息、吸う息を意識して生活をして、あるいは坐っておられる人は、いらっしゃらないと思います。
そこで、禅を修行する---修行するということは、やむを得ずですね、本当は呼吸を意識するなんていう不自由なことをしなくてもよろしいのですけれども、修行をするということで、呼吸を意識していただきます。すなわち、吐く息、吸う息、吐く息、吸う息をよく見る、そういう状態になっていただきたいと思います。油断なく、ひと呼吸、ひと呼吸を親切に、そして丁寧に、真心をこめて、吐く・吸う、吐く・吸うの動作を繰り返していただきたいと思います。

 そういう「呼吸を見る」、つまり意識を集中することによって、だんだんと呼吸三昧、意識三昧に入ることができると思います。
 しかし、三昧ということを、まだ自分で意識している間は、意識している自分だけが三昧の外にいるということになります。本当の三昧になれば、三昧に入っている状態を自分で意識、あるいは認識することは、不可能なはずです。

 呼吸を意識する、あるいは三昧に入っている、三昧に入ろうとする自分の意識というものは、当然わかる。そのわかっていることが悪いのではありません。わかっているその意識を、意識によって擦(す)りつぶすような状態になっていただきたいわけです。

 三昧に入る、あるいは意識によって意識を擦りつぶすということは、多少の時間が必要かもわかりませんけれども、根気よく自分の呼吸を意識することによって、必ず三昧に入ることが可能になると思います。

一所懸命に自分の呼吸を見ていくうちに、三昧に入っていくということは、自分の呼吸を意識していることも忘れてくるということです。忘れてくるということは、元の、呼吸を意識していない状態に戻ってくるということです。
 初めての方は、非常に面倒な、複雑なことのように受け取られるかもしれませんけれども、一度ものを知って、そして知ったその意識によって擦りつぶしていく、また一回転して元に戻る、そういうことが、禅の修行ということであります。
 客観的に見れば、その人が呼吸を意識しているか、していないかなどということはわかりません。しかし、同じ状態で、同じ生活をしておりながら、一人の人は呼吸を意識することによって道を歩み、必ず「脱落」という境地が得られる。一方、何もしないでただ坐っている人は、そういう脱落ということがありません。そこに天と地の相違ができてまいります。」    
                   「原田雪渓老師~The禅 ダルマは世界を駆ける」より

P1090862.jpg

昨夜の藻岩コナミ、みなさんありがとうございました。
どんどんポーズが美しくなって本当にびっくりします。
手の先、足の先まで意識を傾けているのがよくわかります。
Y中さんはお嬢さまのItokoさんのお誕生日で2週間ニューヨークに行っていて昨夜久しぶりにお会いしました。私の大好物のお土産をいただきました。
Itokoさんからのカードには「ニューヨークも坐禅ブーム。私はZEN-ZABUTONなるものを買いました」と書いてありました。そして相変わらずヨガもブームだと。

早めに着いた浄国寺では住職さんと庭師の方が蓮の苗を植えてました。
蓮はまだ蕾。咲くのが楽しみです。


スポンサーサイト

坐禅~6月5日

昨日の坐禅は円山北町のO川さんと。
O川さんが行くと言ってくれなければ昨日は行かなかったかも知れなかった。
行かなければメッセージを知れなかったから、行くと言って下さったO川さんに感謝した。
お天気が良かったけど地下の坐禅堂はひんやりして少し肌寒かった。

P1090341.jpg

自分は瞑想や坐禅を始めて間もなく雑念が消えたときにいろんなことが見えることが多い。
その時間は何分なのかどのくらいなのかはわからない。
だって坐禅の45分くらいの時間の感覚がない。何時間も何日も経っているような気がする。
それは「無」空っぽになる前の時間に起こることも知っている。
そしてこの不思議な時間に陶酔してはいけないと、本に書いてあったことも知っている。
昨日の見えたことはここに書くのはやめておきます。

P1090334.jpg

1回目に私に話しかけて来た男性が坐禅に来てた。男性の顔はとても穏やかになってました。
私と話したい感じはわかったけど、会釈して話は控えました。
帰り、私の車のとなりにその男性は車を停めてありました。
タイミングを合わせて付いて来てるのはわかったけど話はせずに車を出しました。
最初に会った時は何か憑いてるみたいだったけど、顔が穏やかになっていてもう話さなくてもいいと思ったから。

P1090371.jpg

瞑想や坐禅は最初はすごく落ち着かなくて、10分や15分もとてもながくて苦痛に思うかもしれません。でも何度もして行くうちに座って目を閉じて、手を合わせたり印を結ぶことでホッとして落ち着くようになると思います。まずは無理をせずにそこから。
そして少しずつ雑念を払って行く訓練をします。瞑想は自分は何かを知って行くんです。
何も始めないと始まりません。ヨガも瞑想も坐禅も。

P1090370.jpg

今日、自分は人にたくさん笑顔をあげたくて優しくしたくてしようがなかった。
自分も人も愛しいと思った。

娑羅双樹

「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。
 おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
 たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」
平家物語の冒頭。もう1週間以上ふと気がつくとマントラのように頭のなかでくり返し唱えてる。
今日は2度目の坐禅に行った。

P1090099.jpg

最初、頭にいろんな雑念が浮かぶ。家に帰ってからのこと、6月の予定、義父の眠った顔...。
自然とまた「祗園精舎の鐘の声...」。雑念が消えると現実と夢の中間に来る。
身体は感覚がなく軽い。息~呼吸は仙骨から入って頭頂部から抜けて行く。
瞼の裏にずっと出て来た垣根の向こうのきれいな緑の野原はどこだろう。
45分間、何時間も何日も経った感じがする。

P1090095.jpg

この扉の中が坐禅堂。中の写真はダメだと言われました。
中はきれいでびっくりしますよ。

P1090081.jpg

6月、私と一緒に坐禅に行きませんか。
今日、住職さんとお話をして来ましたので。詳しくは私まで。

坐禅

午後から坐禅をしにお寺へ。お寺の地下にある坐禅堂は別世界だった。
そしてこれから現実とそうでない不思議なところに行くんだと思った。
品の良い香が体のなかに、すっと入って来る。
時間まであと少し、坐禅をするのが楽しみになってくる。

P1080681.jpg

最初の数分は少し落ち着かないけど少しずつ呼吸に意識を集中させて雑念を払う。
坐禅は本当は半眼だけど、私は瞑想と同じように軽く目を閉じて眉間の遠くを見る。
途中から吸う息が胸の間から入って、吐く息が眉間から出て行くのがはっきりわかった。
胸の間は4番のチャクラ~アナハタ、眉間は6番のチャクラ~アジーナ。
1番から7番までのチャクラを螺旋状に気を通してみたけど気が散るのですぐにやめた。
たしかに胸から入って眉間から出た。おもしろかった。
1時間、放禅鐘(ほうぜんしょう)~終わりを告げる鐘がなるまであっという間だった。
ずっと坐りたかった。私の気持ちは鎮まって穏やかになった。

P1080835.jpg

住職にご挨拶をしてお寺を出た。
駐車場まで坐禅堂にいた知らない男が後ろを付いてくるのに気がついていた。
車のドアを開けようとした時その男の人が私のところに来て言った
「私を見て何か悪いことが起きるように思いませんか。」と。「そうは思わない。」と答えた。
「先祖に手を合わせて供養して、坐禅に来てるのに自分には良いことが起こらない。」と言った。
「見返りや期待をしてはいけないと思う。いろんなことに感謝出来る自分を作ることが大事だと思う。そのためにはいろんなこと~浄化をしなければいけない。」と答えた。
寒い中しばらく話をしていた。

車に乗って、どうしてそんなこと私に聞いて来たんだろうと思った。知らない人なのに。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。